写真撮影場所:和歌山県有田市
写真撮影日 :2020/10/14-15、2021/9/20
唄収録日 :2022/3/3
唄記述日 :2022/3/14
訪問記述日 :2022/3/14
*歌詞*
「江島新之丞が 六合(に)離れ
池の小鮒(は) 水(ばなれ)」
※カッコ書きの部分は、参考にした曲でも唄われておりません。
*記述*
これは和歌山県有田市周辺で唄われていた蜜柑取り唄です。
通常「江島節」という括りに入るものは、この有田市のものと、海南市下津町周辺で唄われていたものがあります。旋律は違いますが、どちらの唄も労作唄とは思えないほど、悠長で産み字の多いことが特徴です。
一人が長く音頭を取り、大勢が続いて囃します。この音頭取りは途中で交代することもあります。
この唄の名前は、当然この歌詞によるものとされていますが、この「江島新之丞」が何者かは分かっていません。有田市で伝えられる話では、江島新之丞は主君の勘気に触れて浪人となった元若侍で、有田市山田原に辿り着いた後、この地に定住して蜜柑取りになり、この唄を自作したとのことです。
また、「六合」は「禄分」とも表記されたりしますが、何のことかは不明です。
日本民謡大観の唄を参考にしました。この唄は途中で唄い手が咳き込み、次の唄い手が早めに唄いだしているアクシデントもあってか、唄われていない箇所があります。
唄は基本的に自由間の自由旋律で、人によってばらつきがあるそうです。しかし、私がそれをすると本当に何の唄か分からなくなってしまうため、一旋律の開始音、終了音、旋律の大体の傾向を合わせるようにしました。そうすると、やはり自由な雰囲気が格段に落ちてしまったので、原曲を聴いて頂くことをお勧めします。
*訪問記述*
2020年10月14日は、湯浅駅から電車に乗り箕島駅へ。14時3分頃到着。相変わらず晴です。
コミュニティバスの到着時間まで少し余裕があったので、駅近くの箕島神社へ。(この時点では、江島新之丞が山田原に居たかもしれない話を知らなかったので、とにかく有田市内だったらどこでも撮影したらいいのでは、と思っておりました)
田中さんが神様に
スーツケースをがらがら引きながら、「オークワ」のバス停まで歩きました。そこから有田市コミュニティバスに乗り、15時2分に「鮎茶屋」へ。
本当はホテルサンシャインに到着して時間があったら、その日のうちに糸我稲荷神社行こうかと思っていたのですが、歩き疲れていたため、明日だ明日と先送り。一人で鍋を突いたり、梅酒を飲んだり、お土産を買ったりして旅を満喫しておりました。
15日も晴。5時40分頃ホテルを抜け出して、レンタサイクルで糸我稲荷神社へ。途中道に迷いながらもスマホのナビで何とか到着。得生寺を回り、自転車で7時前にホテルへ戻りました。
説明が分かりやすくないと何か分からない典型例
朝食を食べて、一度チェックアウトした後に、荷物をホテルに預け、もう一度レンタサイクルで須佐神社へ。これが非常にしんどくて大変でした。(後になって、レンタサイクルのタイヤがパンクレスタイヤだったのだと気づきました。ゆるやかな傾斜が重くてきつい)
結局、須佐神社との往復で10時を過ぎてしまいました。ホテルで荷物を預かってもらっていたのに遅れて申し訳ない……。
鮎茶屋10時30分発のコミュニティバスで箕島駅へ。駅のコインロッカーにスーツケースを預け、有田市文化福祉センター内の有田市みかん資料館へ。隣の有田市郷土資料館共々さらりと見て、さあ帰ろうとした時に、郷土資料の揃った本棚で一冊の本を見つけました。それが「有田の民謡と迷信」というもので、市販されていなさそうな本の初めの方に、江島節について掲載されていたのです。地元資料が存在する嬉しさに舞い上がり、その場でじっくり見たかったのですが、本を発見した時間が遅かったため、無断で申し訳なかったのですが一部写真を撮らせて頂き退散。
唄が長く写真が足りなさそうだったので、踏切を渡り箕島駅の裏手側の写真を撮って戻り、お腹が空いていたので自動販売機でアイスクリームを2本買い、預けているスーツケースを回収して、12時27分発の電車に乗って帰りました。
そして家に帰ってから例の本の中身をじっくり読んで、江島新之丞が山田原に縁があること、そして今回の旅では足を一歩も踏み入れていないことに愕然とするのでした。
2021年9月20日は、11時39分に箕島駅へ。天気は曇り時々晴。
ショックのあまり再訪が一年ほど空いてしまいましたが、気を取り直して有田市文化福祉センターへ。山田原へ向かうのに、またまたレンタサイクルを使用することにしました。
考えていたより早く12時前に山田原に着き、町内をうろうろしていると、柑翁会館に山田原町内地図が掲げられているのを発見。ありがたく参考にさせて頂き旧跡を回りました。
とはいえ、みかん山へは行かないと駄目だよね……、ということで地蔵堂の裏へ続く道からみかん山へ。相変わらずの重いレンタサイクルの後に、みかん山の傾斜と奮闘することになり疲れ倍増でしたが、蜜柑の収穫時期より早かったためか、どなたもおられなかったのが幸いでした。
最後、町内地図にあった法華寺がどこか分からず迷っていたら時間がぎりぎりになり、急いで有田文化福祉センターに戻ったのですが、間に合わずレンタサイクルの超過料金を支払う羽目に。ショックを受けつつも、せめて電車は遅れてはならないと箕島駅に向かい、13時27分発の電車に乗って帰宅しました。
*参照*
『有田の民謡と迷信』 1966 村山源一
『日本民謡大観 近畿篇』 1966 日本放送協会 日本放送出版協会
『日本民謡大事典』 1983 浅野健二 雄山閣出版
日本民謡大観 近畿篇 8 by Various Artists on Apple Music
※この唄は『日本民謡事典』には掲載されておりません。