写真撮影場所:大阪府高槻市唐崎、唐崎中
写真撮影日 :2021/8/4
唄収録日 :2022/8/1
唄記述日 :2022/8/3
訪問記述日 :2022/8/3
*歌詞*
「ヤレヨーサーヨーホホイ(ホイ)
サーヨーヨーホイナーエ
ここは(ハーヨイヨイ)
唐崎ナーエ 弥右衛門屋敷ヨ
前は淀川 ヤレ下り船
アレワサンショ
ここは唐崎 過書の浜は
上り下りの 船止まる」
*記述*
これは大阪府高槻市唐崎の地蔵盆踊りの唄です。
往時は地蔵堂前広場で「江州音頭」を徹夜で踊っていて、夜が明ける前にこの音頭へ切り替える習慣があったため、別名「夜明け音頭」とも呼ばれたそうです。
音源は「大阪府の民謡 昭和62・63年度府内民謡緊急調査より」を参考にしました。
通常、邦楽においては唄い出しの単語の第二字以降を伸ばすことが多いですが、この唄は第一字を伸ばす傾向があります。(例えば歌詞の「唐崎」は、通常なら「か」より「ら」や「さ」を伸ばすことが多いですが、この唄は「か」が伸びています)地名から大陸の人々に縁のある集落と推測されますが、その言語的なことが理由かもしれません。
*訪問記述*
13時27分頃、唐崎のバス停に到着しました。天気は晴れ時々曇り。
この日は最高気温37度が予想されていて、バス停に降り立った瞬間から、熱中症との闘いが繰り広げられました。(どうして近場なら行けると踏んだのか……)
バス停のある通りを漠然と名所めぐりして、まずは地蔵堂へ。町中は狭い路地なので写真を撮る時に人と出会うと気まずい訳ですが、流石にこの温度だと出歩いていらっしゃる物好きな方はおらず。
唐崎南之口地蔵堂のお地蔵さまは化粧地蔵でして、お顔が個性的です。地蔵堂前の広場はそれほど広くないのですが、集落の人たちが一気に集まると、お地蔵様のお顔の様にエネルギッシュな感じだったのだろうと思いました。
その後、唐崎神社や唐崎公民館へ。動画の写真の通り、この時間は影が少ないし休憩する場所がないしで罰ゲームみたいな状況でした。
そこから過書の浜跡へ移動。道路脇にある水路を無意味に撮りつつ、途中の祠の影で涼みながら水分補給。過書の浜跡の看板のところまで出ると、実は堤防まで出たら風が吹いて涼しいのではないかと思いましたが、現実は影もなく風もありませんでした。
思い出し暑い
堤防から水辺が遠すぎる
築堤・修堤記念碑の周辺は雑草が伸び気味で、足元に気を付けながら近づきました。ここの堤防は淀川の氾濫で何度か決壊しており、唄にある弥右衛門屋敷も1868(慶応4)年の洪水で流されてしまったため遺跡のようなものは残っていません。
これでお出かけの目標は済んだのですが、ここからどうやって帰ろうと迷った挙句、折角だし番田側に出ようと堤防を北に進み芥川を渡りました。川の上まで出るとようやく涼しいかもしれないのレベル。
ひらパーが見えます
番田一丁目のバス停では帰れなさそうなので、番田のバス停まで移動。途中に番田神社がありましたが、時間が足りないので手短に手を合わせます。
忙しなくて申し訳ありません
バス停に走り込むと、15時5分のバスは少し遅れてやってくるという運命でした。息を整えて帰宅しました。
*参照*
『大阪府の民謡 昭和62・63年度府内民謡緊急調査より』付録解説
高槻のお地蔵様はなぜお化粧されている!? | 北摂・阪神・神戸のニュースサイトCityLife NEWS
※この唄は『日本民謡事典』には掲載されておりません。