間の山節(宮参り)

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写真撮影場所:三重県伊勢市、志摩市
写真撮影日 :2019/9/30、10/1、10/2、2020/4/23
唄収録日  :2020/7/20
唄記述日  :2020/7/27
訪問記述日 :2020/7/27


*歌詞*

「伊勢で 宇治橋 内宮に外宮
 八十末社の宮巡り
 間の山では お杉お玉 アリャ
 しまさん 紺さん なかのりさん
 岩戸さまへは道続き
 二見浦では 朝熊(あさま)山 鸚鵡石
 磯部比丘尼に 太々神楽や これなもし
 投げしゃんせ お泊りならば 泊まらんせ
 お風呂もどんどと 沸いている 寄ってかんせ」


*記述*
 
 間の山、と書いて「あいのやま」と読みます。三重県伊勢市の古市(ふるいち)は、伊勢神宮の内宮と外宮の中間地点の尾部坂にあり、昔からお伊勢参りの旅人を相手に、歓楽地として大変賑わっていました。大道芸人が多く小屋掛けして、その中のお杉とお玉という女性たちが三味線の名手で、客の投げ銭を撥でかわしていたという話もあります。(ただ元々大道芸は男の芸で、女の芸になった後も当初は歌比丘尼が多かったようで、その三味線の名手のお杉お玉が実在していたかは不明です。後になって、その伝承にあやかりお杉お玉を名乗る芸人はいたようですが)そんな大道芸人たちに唄われ、また同じ古市の花柳界で遊女たちに唄われて、幾つかの「間の山節」ができていきました。(「間の山節」には、この「宮参り」と違う歌詞があるので、複数の唄が同じ名前で呼ばれたのだと解釈しています)
 一説には、有名な「伊勢音頭」は、「間の山節」と「川崎音頭」、或いは伊勢神宮式年遷宮の際の木遣唄が元になっているということです。(ただし、それぞれの民謡は、同じ時間軸に存在しながらどんどん変わっていくので、「間の山節」は「伊勢音頭」が発生した当初の唄の形ではない可能性が高いです)
 唄は日本民謡大観(下記参照リンク)を参考にしました。歌詞も下記参照リンクのもの2つを下敷きにして、日本民謡大観の唄の歌詞を書いています。途中の「しまさん 紺さん なかのりさん」は、おそらく歌舞伎の「伊勢音頭恋寝刃」の台詞「鹿さん 紺さん 中よしさん」を下敷きにしているものと思われます。
 こきりこ音は、唄と唄との間だけ三味線の拍子に合わせました。


*訪問記述*

 2019年10月2日は10時16分頃、JR伊勢市駅から古市経由で内宮前へ行くバスで出発。天気は曇り一時雨。
 前日までは人と一緒に回っていたのですが、ここで一人になり、古市のバス停で下車します。

 そして、まずは内宮方向へ歩きます。手元に周辺の詳細地図がなかったので、とりあえずGoogle地図にも記載があった長峯神社へ行くことに。そこから、先日泊まった麻吉旅館(海の幸と日本酒が大変美味しゅうございました)の看板の横を抜け、寂照寺を通り過ぎ、伊勢古市参宮街道資料館へ。
 受付の男性の方が説明してくれた中で印象が強かったのは、古市が内宮と外宮の間の山で、つまり標高が高いため水害に遭いづらいという話でした。ここでふと、この前の日に行った神宮徴古館のガイドさんが、内宮は水害に遭わないように、手水舎の前で水を引き込んで、二段構造にしてお守りしていると仰っていたのを思い出しました。場所柄、水が切実な問題になってくるのですね。(「あいのやま」を「相の山」と表記することもあるのですが、当ブログではこの話を受けて、「間の山」で統一しております)

 資料館で古市周辺地図を頂きましたが、お杉お玉の碑などの主要地点は、古市バス停のもっと伊勢市駅寄りにあるとのこと。あらら。
 この時は、この唄ではなく「伊勢音頭」をするつもりで、唄が長くなく写真の枚数が少なくてよかったので、また内宮方面に進みました。途中桜木地蔵に寄りつつ、常夜灯、猿田彦神社を経由して、おかげ横丁の方向へ。途中、目についた生しらす丼の看板に惹かれて、浜与本店のおはらい町店に立ち寄り、がっつり頂きました。喉越し良く新鮮で美味しゅうございました。

 内宮では人が多く、どうしても映りこんでしまうため、写真を撮る時も選別の段階でも悩みました。動画をご覧になるとその辺りの四苦八苦の様子が分かるかと思います。

 

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人がいなくなってから写真を撮り直ししてみたり 
 
 歩き回って疲れ、一休みした参集殿では包丁儀式をやっていました。初めて見ましたが、世の中にはまだまだ知らない世界があるものです。

 大山祇神社・子安神社も写真を撮って、おはらい町通りに戻ります。生しらす丼でお腹いっぱいなのに、実はへんば餅が食べたかったので、寄り道寄り道。

 

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見本が既に美味しそう

 

 さて、外宮に出ようと思うものの、どこのバス停のバスが一番最初に外宮に行くのか全然分からず、もたもたしているうちに他のバス停からバスが出てしまいました。しょんぼりしながら猿田彦神社の向かいのバス停に向かうと、雨が降ってきてしまいまして、ますますしょんぼりしながらバスを待ちました。

 外宮に降り立つと雨はやんでいて、ここはここで写真に苦労しつつも、最終的に月夜見宮に立ち寄り、近鉄伊勢市駅を15時48分頃出発しました。


 2020年4月23日は10時27分頃、近鉄志摩磯部駅に到着しました。天気は曇りのち晴れ。

 上で書いた通り、もともとは「伊勢音頭」をするつもりだったのですが、調べるうちに古来の「伊勢音頭」の姿が一体何であるのか求めるのは野暮な気がしてきたので(まあこのブログでは既に伊勢音頭系列の「槇尾山幟上げ音頭」を取り上げていますし)、その元唄とされている「間の山節」にしようと考えてしまいました。ついうっかり。

 とはいえ、この唄は尺が長く、唄われている場所の範囲が広すぎるので、さすがに今のままの写真では足りない。でも時間の都合上、一日では全て回ることができなかったので、場所を選ぶことにしました。(時間の予定が立てづらいバスで向かうのが最適な天の岩戸と朝熊山が、写真に入っていないのはそういうことです)
 志摩磯部駅には近鉄特急が止まるため、佐美長神社、磯部神社、おうむ岩、伊雑宮、近鉄上之郷駅の順番に、下記参照リンクとは逆の順番で回ろうとしたのです。おそらくこれが敗因で、最後ずっと走らなければならなくなりました。おうむ石のある展望台の標高が想像していたより高く、志摩磯部駅からだとかなりきつかったです……。

 

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景色は良かったですよ……

 

 結局、上之郷駅を出発したのが13時頃で、鳥羽駅の到着が13時24分頃。この時間だと鳥羽駅で乗り換えるJRの電車が14時5分頃しかないので、買ってあったご飯を食べて待ちぼうけです。おかげで二見浦駅到着が14時12分頃、予定では二見浦駅15時5分頃発の電車に乗る気だったので、二見興玉神社まで歩いて写真を撮って、また走って駅まで戻るという苦行……。 

 JR伊勢市駅に15時11分頃到着し、そこから近鉄宇治山田駅まで歩き、更にお杉お玉の碑まで歩きます。この唄だと、どうしても写真に撮らなければならないよね、と泣く泣く住宅街の中を探し回り、写真を撮ったら撮ったですぐに走って帰るという切ない旅模様でした。

 疲れた体を引きずり、宇治山田駅を15時47分頃出発しました。


*参照*


『小唄伝説集』 2008 藤澤衛彦 東洋書院

『日本民謡辞典』 1972 仲井幸二郎・丸山忍・三隅治雄 東京堂出版

間の山節 | 三重の三味線教室 加藤訓峯の活動ブログ

間の山節(アイノヤマブシ)とは - コトバンク

慶應義塾大学学術情報リポジトリ(KOARA) - KeiO Associated Repository of Academic resources

(検索画面で「新民謡運動を経た伊勢音頭をめぐって」を入力。PDFファイル注意)

磯部めぐりコース(志摩を満喫!おススメ観光コース)|伊勢志摩の観光案内 御食つ国(みけつくに)志摩/志摩市観光協会ホームページ

※この唄は『日本民謡事典』には掲載されておりません。