新宮節

youtu.be

写真撮影場所:和歌山県新宮市
写真撮影日 :2016/4/20
唄収録日  :2016/8/9
唄記述日  :2016/8/12
訪問記述日 :2016/8/12


*歌詞*

「新宮よいとこ 十二社様の
(セノ ヨイヤサノセー)
 神のまします よいところ
(エッサーエッサー ヤレコノセ
 ヒーヤーリ ハリハリセー)

 お灯祭りは 男の祭り
 山は火の滝 下り竜」


*記述*
 
 和歌山県の新宮は過去に熊野地方の木材の集散地として栄えました。その木材商たちの酒席で流行った唄です。「岡崎五万石」(itunesでは「五万石」という唄名になっています)と三味線の前奏部分が類似しており、比較的新しい唄と目されています。

 唄い方は習ったものを採用しました。地元の唄とはお囃子のアクセントが違うように思います。


*訪問記述*

 17時4分に新宮駅到着。天気はその日も次の日も晴れ。

 尾鷲からの電車は撮影位置の関係で最初に座った位置がどうやら悪かったらしく、途中から太陽に照らされて熱々でした。
 まあ後はホテルに到着すれば終わり終わりと歩き始めましたが、意外と駅から距離があります。これは明日のスケジュールを変更しなければ、と疲労及び暑さで朦朧とした頭を揺らしながら、チェックイン。ホテルの部屋に引きこもって、その日は終了しました。

 翌日5時起き。準備をして駅に向かいます。各所で写真撮影をしてから再度ホテルの荷物を取る時間はなさそうなので、駅のコインロッカーに大きな荷物を預けました。
 その足で浮島の森へ。看板が至れり尽くせりだったので道の迷いようはなかったのですが、入場は9時からと知って目が点。今回初の調査漏れで、すごすごとホテルに戻ります。


見えてはいるのですが

f:id:Nanashinogo:20160812152123j:plain


 ホテルでは6時30分過ぎにモーニングを頂きました。男性がほとんどでしたが、たまに若い女性が一人でいたりして、一体どういう立場の方なのだろうと興味津々でした。(その質問がブーメランのように返ってきても不思議はないです)

 食後にチェックアウトして神倉神社へ向かいます。途上で山の上に神社の姿を認めた時には、帰りたくなりました。朝一番からあれに登るのか、そうですか。
 恐怖に慄いて登り口に赴いたところ、日課で登っていると思しき方が挨拶を交わされておられて驚愕。考えてみれば、お灯祭りではこれを登り火のついた松明を持って降りてくるため、日ごろから鍛錬している方がいらっしゃっても不思議ではありません。それに引き替え虚弱を絵に書いたような我が身。最初の階段を見て、これって階段じゃなくて壁じゃないのと呆気にとられるわけですよ。 

 壁をよじ登ると、残念なことに即効で息が切れました。
 途中で摂末社にもご挨拶されていたお兄さんに、登るのが初めてであるか尋ねられ、肯定すると先の傾斜はもうきつくないことを教えてもらいました。その通り、壁状態はなくなったのでゆっくりとした坂で息を整えます。
 先は意外に短くてほっとしました。見事だったので一枚だけご神体を撮影しましたが、動画では使用しておりません。悪しからず。
 上るより下りる方が大変でしたが、距離が分かっているだけに心が軽かったようで、こける(転げる)ことなくすんなり下山しました。

 さて、次の目標は妙心寺。ところが何度行ってもその先の宗応寺まで出てしまいます。お寺を見落とすとはどういうことなんだと近くを行ったり来たりしていると、ちょうど通学時間帯で周りは小学生ばかり。不審者扱いされたらどうしようという懸念が頭をもたげます。

 何度か同じところを歩いて地図を確認し、自分が考えているよりは神倉神社寄りにあると思い至り、そちらへ戻ります。結果的に、こじんまりとした一軒家のような御堂と門の様な鳥居を住宅街で発見、自分の「お寺」に対する先入観を突き付けられました。

 そんなこんなで時間をロスしましたが、気を取り直して熊野速玉大社へ向かいます。これは大きさから言っても迷いようがなく、適当にぱちりぱちりと撮影。
 敷地内に一軒あった折りたたみ式の家屋の店で「じゃばら」の飴を買うと、「セミノール」の試食を勧められました。甘くて美味しかったのですが、さすがにここで果物をお持ち帰りするわけにはいかず、さくっと退散しました。残念。

 ここから新宮城跡へ。また登るのですか、と入口で階段を見て絶望していました。まだ暑くはなっていないのですが、確実に足が重くなっています。


もういいんじゃないですかね、階段とか

f:id:Nanashinogo:20160812152433j:plain


 本丸跡へ登ると、ちょうど藤棚の藤の最盛期で、見ごたえはあるのですが蜂の独壇場。私は敵対しないよーのポーズで(つまり及び腰)藤棚から距離を取るのですが、いたるところにぶんぶんいらっしゃるので、さっと写真を撮ってさっと逃げました。(度々通せんぼされたのですが、調べたところ雄のクマバチの習性で、動くもの全てを雌かどうか確認するというものですね。確かめてどうするのか……。雄のクマバチには針がないので安心とのことですが)

 水の手に出て、草刈り作業夫さんが休憩されている横を通り、熊野川沿いに移動して、もう一度入口まで戻ってきました。一通り回ったつもりでしたが、どうやら出丸には行っていない模様。東に出て本丸側の入口から進入し、蜂様のご機嫌を損ねないように歩き出丸へ入ろうとしたら、その手前で通行止めになっていました。体力と気力を削られただけの本丸再訪でした。
  
 気を取り直して阿須賀神社へ。私の他にはどなたもおられず、自由に写真撮影。敷地内の新宮市立歴史民俗資料館は時間の都合で回りませんでした。
 
 その頃になると足が悲鳴を上げまして、よろよろと駅の方向へ移動します。途中で徐福公園の看板を見つけたので進路変更。行って椅子に座ったまましばらく動けませんでした。
 
 足が休まったところで歩き出し、駅を越えてもう一度浮草の森に行きます。中に入ると先客がおり、受付の方の説明が途中からになりましたが、先客が出発するともう一度説明を最初から聞いたあたりまでしてくれました。
 あまり早く行きすぎると先客に出くわすかなと思いながら出発しましたが、行けども行けどもお会いすることはなく、一人で楽しく鑑賞していました。写真も好き勝手に撮りましたが、何を写したいのか狙いが分からないものばかりに……。

 これで撮影のために回ろうと思っていたところは終了しました。思っていたより早く、予想より一本早めの電車に乗れそうです。
 いよいよ昼御飯(と書いてメインイベントと読む)。「東宝茶屋」さんで秋刀魚のなれ鮓を食べる予定にしていたので、いそいそと移動します。足が痛いという事実は食欲の前に平伏すのです。
 店の場所を確認したら、まだ開店の11時30分になっていなかったので、その近くで時間をつぶしてから入店。30年物と発酵の進んだものを頂きました。私はある程度何でも食べられる方ですが、さすがに一人で食べ切れるだろうかと不安に思っていました。
 が、普通にぺろっと頂きました。独特の酸味と複雑な旨みが私の舌と相性ばっちりでして、幸せオーラを漂わせながら駅に戻り荷物を取り、12時50分発の電車で次の目的地に向かったのでした。


*参照*

『日本民謡辞典』 1972 仲井幸二郎・丸山忍・三隅治雄 東京堂出版

『日本民謡集――ふるさとの詩と心』 1959 服部龍太郎 社会思想社 

ヴァリアス・アーティストの「日本民謡大観 中部篇(中央高地・東海地方)8」を iTunes で


※この唄は『日本民謡事典』には掲載されておりません。