鹿児島小原良節

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唄収録日  :2016/2/10
唄記述日  :2016/2/16

 

*歌詞*

「花は霧島 煙草は国分
 燃えて上がるは オハラハー 桜島
 (ハ ヨイヨイ ヨイヤサット)

 見えた見えたよ 松原越しに
 丸に十の字の 帆が見えた

 今来た二才(にせ)どん よか二才どん
 相談(そだん)掛けたら
 はっちこそうな 二才どん

 桜島には 霞がかかる
 わたしゃおはんに 気がかかる」


*記述*

 唄名の「小原良」はオハラと読みます。
 元は地域の名を取って「原良(はらら)節」と呼ばれていましたが、鹿児島一帯に唄が広がると「小」の字がついて「小原良節」と呼ばれるようになりました。
 1933(昭和8)年に新橋喜代三氏のレコードでこの曲は「鹿児島小原良節」と名付けられ瞬く間に有名になりました。それ以降に複数の方が同一曲で唄を出しているのですが、「小原良」が読みづらいからか「小原」で通しているようです。(恥ずかしながら私は「小原」と勘違いしておりました)

 中囃子の「二才」はリンクにある通り15,6歳~24,5歳の青年の事でして、「はっちこそうな」は逃げて行ってしまいそうなという意味だそうです。
 また、別の中囃子に「段々畑のさや豆は~」という下りがあるのですが、これはハイヤ・ハンヤ節に影響を受けているものと思われます。


 新橋喜代三氏のレコード収録分とその元唄は全然感じが違うそうで、地元では別物扱いされているとのこと。(おそらく日本民謡大観の「オハラ節」(下野ちよ氏)が、地元の唄い方ではないかと推測しています。明瞭で唄いやすくやや平坦な流行歌と、複雑で唄いづらくそれが故に美しい地元の唄を聴き比べてみると面白いです)この元唄との編曲部分だけ、今も著作権保護期間中になっています。
 尚、レコード収録分の伴奏の三味線が東京音頭の前奏と全く同じなので、唄い手は注意しないとうっかり間違えます。


 この曲は、元々「原良節」という名前の他に「ヤッサ節」「おはら節」と呼ばれていました。唄の発祥には複数の説があります。



*参照*

『日本民謡大事典』 1983 浅野健二 雄山閣

http://washimo-web.jp/Report/Mag-Goujyu.htm

 

*試聴(広告)*
 この方、以前は違う唄い方をしていたと思うのですが、唄い方を元唄に近い形にされたのではないでしょうか。記憶違いならすみません。