保津川下り船頭唄

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写真撮影場所:京都府亀岡市、京都市右京区、南丹市日吉町
写真撮影日 :2020/11/5、2021/10/20、11/4
唄収録日  :2022/6/3
唄記述日  :2022/6/30
訪問記述日 :2022/6/30


*歌詞*
「イーヨーイサー さても嬉しいわいな(コラショイ)
 アー山本浜より船を一艘かいこんで(コラ)
 保津川下りを致しましょう(ソラ)
 下手な私が船頭して(ソラ)
 大波小波を分け行きて(ソラ)
 私や貴方ははかりが瀬(ソレ)
 夫婦岩でもありたさに(ソレ)
 こぐり岩を抜けて出て(ソレ)
 ちあみ八千代のその間(ソレ)
 金岐(かなげ)のこつぶもあるけれど(ソレ)
 小鮎(こや)の滝をサ 辛抱して(ソレ)
 私や貴方は高瀬にて(ソレ)
 丸岩いたした漁場でも(ソレ)
 人は獅子がコラ口々言うけれど(ソレ)
 若しやさ お腹に蜂の巣なんどが宿りたら(ソレ)
 よりかたそうじゃと思やんせ
 月日のたつのが早のさき(ソレ)
 もはや ひととせ ノーホーヤーレーヤ(コラショー)
 廻り渕やねー

 (アーウマイコッチャ、ヤートコセーヨーイヤナー
  アレワイセーコレワイセー ソラヨーイトセー)


*記述*
 これは京都府の保津川下りの際に唄われていた新民謡です。

 元々は現在の京都府京都市右京区京北上黒田町の山主である由利与市という人物が、1891(明治24)年頃に作詞したと伝えられています。その唄を自身が雇っていた筏師に唄わせたのが始まりと言われており、ある時期までは保津川下り遊覧船の船頭たちも唄っていたそうです。

 曲調は「伊勢音頭」の道中唄の崩れたもので、そもそもは祝い唄だったとのこと。
 唄は「日本民謡大観」を参考にしました。唄い手が自分の予想より遥かに間拍子で唄うため(その割には楽しそうに唄っているのがすごい)、最初は合わせていたのですが、そのうち混乱してきたので止めました。祝い唄ですし、楽しさ重視。基音も合わせるのを放棄しております。

 歌詞は聞いたままを重んじて、日本民謡大観の書籍掲載のものとは少し変えています。尚、「下手な私が~早のさき」までの途中の節は、厳密に決まっているわけではなく4パターンの旋律を自由に組み合わせて唄っていくものだったそうです。
 歌詞には保津川の名所が織り込まれているようですが、実際保津川下りに出かけた身でもどこがどこだかさっぱりです。すみません。(唄の詞から、おそらく現状ルート以上に距離が長かったのではないかと推測されますが)この2分以上かかる唄を、当時急流で中断せずに唄えたのか気になるところです。


*訪問記述*

 2020年11月5日は、トロッコ嵯峨駅から10時2分頃出発。天気は晴れ時々曇り。

 トロッコ列車にこれまで一度も乗ったことがなく、いい機会なので楽しんでみました。興奮して写真を山の様に撮ったのですが、動画には一枚も使えなくて悲しかったのでブログに載せます。

 

出発します

 

何故か狸いっぱい

 

ちょっと距離あるけど見えますか

 

 トロッコ亀岡駅到着後、バスで保津川下り乗船場まで。船に乗っている最中にお腹が空かないようにと食料を買い込みましたが、下船まで食べる機会はありませんでした。

 保津川下りもトロッコ列車同様初めての体験。一人で乗る方が他にいなくて悪目立ちするのではと思いきや、同じような方がいらっしゃって一安心。
 船の右後方に乗船していたわけですが、左側の写真を撮ろうとすると人が写り込むジレンマで、自然と枚数が少なくなっています。これも悲しい。

 途中で屋形船の売店があり、みたらし団子を頂きました。食料を買い込んできた割に注文するのがどうしようもないですが、温かいものが美味しい季節ですから。
 書いていて思い出しましたが、そういえばこの数日後にも土山でみたらし団子を食べていました。どれだけみたらし団子好きなのか。

 下船は12時45分頃。ぶらぶら歩いて嵯峨嵐山駅まで戻り帰宅しました。
 そして唄の解説を読んで、「保津川下り船頭唄」となっているけれど、上黒田に縁があると気づきます。また似たようなことをやりましたね……。


 2021年10月20日は京都駅前からJRバスで周山に出て、京北合同庁舎前11時8分発の京北ふるさとバスで出発しました。曇り時々雨、のち晴れ。

 この京北ふるさとバスで上黒田に向かう便は一日5本のみ。周山から30、40分ほどで上黒田に到着した後、折り返しの帰りのバスが来るまでは10分程度しか時間がなく、これを逃すと2時間か3時間後しかバスは来ないという、今まではとはまた違った過酷さに行く勇気がなかなか出なくて困りました。

 宿泊することも検討したのですが、泊りの荷物が増えても保管しておくコインロッカー等がないし、バスとバスとの間が10分程度しかないという原則は変わりませんでした。それなら勢いで日帰りした方がいいという結論に至りましたが、再度再度の宣言で道の駅が開かないという事情もあったため、先のお出かけから1年近くかかりました。

 行きのバスに乗車したら私含めて乗客が3人程度しかいなかったので、これは行きと帰りで同じ人が乗ったら目立つなあと思うものの、旅の恥は搔き捨てという呪文を心の中で必死に唱えていました。
 上黒田で降りたら小雨が降っていて、カメラを濡らさぬよう気を付けつつ10分程度の制限時間で写真を撮りまくりました。何とか帰りのバスに間に合うと、結局ずっと私1人しか乗客はおらず。悲しい。

 道の駅ウッディー京北で京北うどんを食べました。納豆餅が美味しかったです。
 時間に余裕があったので、お土産を買い込んでから大堰川の見える位置まで移動し写真を撮って、14時5分頃発の周山から京都へ向かうバスで帰宅しました。


 2021年11月4日10時54分頃日吉駅に到着。天気は晴れ時々曇り。

 10月の制限時間内の撮影が何とかなったことに気を良くし過ぎて、この前日の11月3日の水曜日が祝日だったため、通常水曜日が休みである道の駅スプリングスひよしが4日に代休になっていることを忘れたまま、家を出発してしまいました。これは日吉駅から日吉ダム方面に向かうバスがないということと同義でして……。

 自分が見落としている交通手段が他にあるのではないか、或いは駅から6キロ程度だし最悪歩いて行こう、と途中の電車でぐるぐる考え、差し当たりご飯を食べるところはなかろうと駅弁を買い込んで向かった結果、駅で「レンタサイクル」の字が見えました。助かりました。ママチャリでしたが、それで十分。

 お弁当を食べてから自転車を借り、道の駅スプリングスひよしについたら、対岸の温水プールまで橋がかかっているのが見えました。通常は歩行者用のようでしたが、休みで誰もいないため、失敬して自転車を押して橋を渡ります。
 そのまま日吉ダムスプリングパーク内を、ダムの方向に自転車を押しながら砂利道を上り切ってみると、出口が階段しかありませんでした……。教えてくれないスマホのナビ非道。もう一度下るのも大変ですし、覚悟を決めて自転車のブレーキを止めながら自転車を持ち上げて(これはママチャリで良かった点)階段を登っていたら、何故かこのタイミングで上から人が降りてくるという……。旅の恥は搔き捨てとまた無敵の呪文を心で唱えながら道を譲りました。

 日吉ダム内部も通常なら見学できるのですが、スプリングスひよしがお休みの時はできません。仕方ない。
 日吉ダム防災資料館は開いていたので見学し、どうせだから日吉ダムより先にできた世木ダムを見たい気も……と出発しましたが、車道がメインなので路面が悪く、タイヤの戦闘力不足でいつパンクするか分からなかったので(これはママチャリの悪い点)、ゆめのかけはしまで出てダム湖の反対側から帰ろうとしました。

この写真も動画に入れられませんでした

 

 しかし、通行止めで閉鎖されていたため、泣く泣く県道50号線をそのまま戻る羽目に。
 ダムの横の坂道を下りきってみると、ダム建設のため移転してきた天稚(あまわか)神社を発見。しかし予定より一本早く電車に乗れそうなため、中に入らず失礼しました。
 自転車を無事返却し、日吉駅発14時5分頃の電車で帰宅しました。


*参照*

『日本民謡大観 近畿篇』 1966 日本放送協会 日本放送出版協会

『日本民謡大事典』 1983 浅野健二 雄山閣出版

https://music.apple.com/us/album/日本民謡大観-近畿篇-3/408618786

https://www.hozugawakudari.jp/about/coursemap

※この唄は『日本民謡事典』には掲載されておりません。