串本節

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写真撮影場所:和歌山県串本町
写真撮影日 :2016/4/20、21
唄収録日  :2016/8/30
唄記述日  :2016/8/31
訪問記述日 :2016/8/31


*歌詞*

「(ハァ オッチャヤレ)
 ここは串本 向かいは大島
 仲をとりもつ 巡航船
 エジャナイカ
 エジャナイカ ナイカ
(ハァ オッチャヤレ)

 潮岬に 灯台あれど
 恋の闇路は 照らしゃせぬ」


*記述*
 
 本州最南端の和歌山県串本町の酒盛り唄です。唄の発生については、江戸時代末期に門付芸人が伝えた説、流行唄が祭礼の獅子舞唄になった説、幕末の「ええじゃないか」騒動によるものとする説がありますが、はっきりしたことは分かっていません。

 1924(大正13)年、アメリカから出発した水陸両用機が串本に着水の際、町長が唄を披露する一幕があり、これによって唄が全国に有名になりました。
 同時期に漫才師の砂川捨丸氏がレコード化しましたが、その時に歌詞の「エジャナイカ」を「アラヨイショ」としました。今では「アラヨイショ」の方が一般的です。
 またこの頃から、唄名の「オチャヤレ節」が「串本節」と呼ばれるようになりました。


*訪問記述*

 13時57分に串本駅到着。天気はその日が晴れ、次の日が曇りのち雨。

 新宮で一本早めの電車に乗ったので余裕ができました。翌日の天気が崩れるという話は出発前からあって、到着したその日のうちに潮岬方面へ行こうとしていたのですが、次発電車だとコミュニティバスへの乗り換え時間が5分しかなかったので怯んでいたところでした。助かった。
 ただ、だからこそ新宮を回るのが駆け足のような勢いになってしまったのですが。

 串本駅隣の串本町観光協会でコミュニティバスの時刻表を頂きました。潮岬と橋杭岩と大島に行きたいのですが雨の予報が心配です大丈夫でしょうか、の問いに、海中公園に向かえば雨は関係ないですよ、という受付の方の答え。そうしたいのはやまやまですが、それだと私が串本に来た意味が……。
 その後、時間があったので荷物をホテルで預かってもらおうと思いましたが、ホテルの受付には誰もおらず電話番号だけが残されている状態でして、面倒になって駅に戻りコインロッカーへ預けました。

 14時25分発の潮岬線のコミュニティバスに乗ると、最初は乗客が数人いらっしゃいましたが、結局私が最後となりました。バスの運転手さんとぽちぽち会話をして、14時42分に潮岬観光タワーで降ろしてもらいました。

 タワーで入館料を払って「本州最南端訪問証明書」をゲット。(ネタで写真を撮ろうかと思ったのですが、忘れてそのままです)
 展望塔は風が強くて帽子が飛ばされそうになったので、帽子を鞄に突っ込み髪が乱れた情けない状態でカメラを構えました。
 一通り撮り終わった後、展望塔を階段で降りて別館への直通路を発見、そこを辿り土産物売り場を回りました。急ぎ欲しいものの目星をつけてから、時間があればまた来ようと潮岬灯台へ向かいます。

 潮岬灯台は行き交うのもギリギリな感じの階段部分が長かったのですが、私が上り下りしている最中は他の方が来られず、私が下りて一階部分の展示を見終わった後に海外のツアー客が10人以上来られていました。偶に発揮する運のよさです。
 潮岬灯台の天辺から見えた建物が気になり行ってみることに。灯台に向かう道の途中で曲がり角があったのですが、そこに「潮御崎神社」の看板が有りました。境内には初め私以外人がおらず静かなものでしたが、和歌山県神社庁のホームページを見ると、秋の例祭の時には賑わうそうです。へええ。

 

手書き

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 急ぎ潮岬灯台の駐車場まで戻りましたが、潮岬観光タワーに戻る時間はなく、そのままバス停で待って串本駅行きの16時9分発のコミュニティバスに乗り込みました。愛想のない運転手さんだな、と勝手に思っておりましたが、降り際に乗継券を求めると手早く出してくれました。ありがたや。
 
 串本駅のバス停でしばし待ち、16時30分発の佐部・上田原線に乗り換えました。乗ると潮岬線の行きの運転手さんでした。どういう勤務設定になっているのか不思議。
 橋杭岩で降ろしてもらって、観光客や地元の学生に混じって写真を撮り、それが終わると隣接の道の駅でお土産の購入に悩みました。帰りのバスが18時4分発と遅いので駅まで歩いて帰るつもりなのですが、そのため重い荷物は担げません。軽くて、自分が食べたいと思うもので、お値段もなるべくお安い方がいい、等という我儘を貫き通すため、既に潮岬観光タワーでお土産リサーチしていたにもかかわらず、長時間店内をうろうろしていました。
 帰りは海岸沿いをとぼとぼ歩き、駅まで戻ってからコインロッカーの荷物を取り、一度チェックインしてからオークワ串本店でお惣菜を買い込んで、ホテルに引きこもりました。

 次の日は5時半に起床。
 ホテルでチェックアウト後に荷物を預かってもらえるか前日に確認したところ、預かるから出る時にその旨を係の者に伝えてほしいとのことでした。が、時間が早いためか相変わらず受付が閉まっており、またもやコインロッカーへ預けることに。致し方ありません。

 6時55分発の大島行きのコミュニティバスに乗り、7時22分に大島港で降ろしてもらいました。周囲の写真を撮りつつ、蓮正寺に向かいます。朝が早かったので境内に入れるのかなあと思っていたら、閉まるようなところがありませんでした。お寺の中では人が動く気配がしており、お邪魔してはならぬと早々に退散。

 ここから大島港に戻りトイレを拝借して、また歩き始めました。大島港から串本駅に向かう次のバスは10時11分。空は曇りがちでしたが、まだ降らないようですし、ここで3時間弱も待てないと判断。目指すは大島の反対側、あの有名なトルコ記念館。
 およそ6キロの行程を経て樫野灯台口バス停に到着。この時点でまだ9時54分発のバスは来ていません。車道はここで終わり、また少し歩きます。

 

やっとたどり着いた途端、頭の中で走馬灯が流れたり流れなかったり

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 トルコ記念館の中へ入る前に、岬の先に進みトルコ軍遭難記念碑、樫野崎灯台に行き、もう一度建物の前まで戻ってきます。

 ここでお会いした方々と会話します。会話内容は幾つかあるのですが、その中で、6キロぐらい歩くのは大したことではないのでは、というのがありました。
 トルコ記念館とそこから2、3キロ離れた日米修交記念館は入館セット券があり、どうせなら日米修交記念館まで行きたかったのですが、この時点で私の足はボロボロで、直通のバスはないし移動するならゆっくり歩くしかない状況でした。
 この時は大島港からすごい距離を歩いてきたと思っていたのですが、後から考えれば確かに大した距離ではないし、原因は前日前々日にありというのも頷ける話。引いては自らの限界を考えて旅程を組もうという話……。
 もう一つ。日米修交記念館の近くに雷公(なるかみ)神社というのがあるのですが、ここでお灯祭りが行なわれているとのこと。新宮の神倉神社のものよりもずっと小規模だけれど、ということでした。海のお祭りとしては意外と各地にあるのかも、と尾鷲の謎を思い出しながら考えていたのでした。
 私の旅の無計画ぶりに同情して頂いたのか、トルコ記念館を出た後に車で日米修交記念館まで連れて行ってもらいました。ありがとうございます、本当に助かりました。

 トルコ記念館はエルトゥールル号遭難事件について扱っています。この事件については映画にもなったのでご存知の方は多いかと思います。
 では日米修交記念館というのは何なのかというと、黒船のペリーさんより70年早く日本に上陸したアメリカ人がいらっしゃっるのですが、その話が有名でないので広めようとするための施設、だそうです。
 記念館内を回っているのは私だけでした。天気が悪いからか場所が場所だからか、やっぱり有名ではないからか。外にいる人たちも樫野崎に比べればまばらでした。
 地図を見ると海金剛という景勝地があるので行ってみることに。写真を撮ってみたのですが、腕が悪いためかいまいち凄さが伝わってこない画ばかりになりました。

 コミュニティバスの時間を気にしつつ、速足で、足の痛みに耐えつつ海岸線沿いを移動すると、日米修交記念館で噂のアメリカ人が停泊したという「雷公の浜」まで下ります。この時「雷公の浜」という地名を覚えていなかったのですが、記念館のビデオで見た場所じゃないかと喜んで写真撮影しました。
 そこから西に移動して、鳥居があるなと思い、そのまま帰ろうとして立ち止まり、これって位置的にも先に話していた雷公神社じゃないのと気づきました。これは撮影していかねばと足を引きずるようにして階段を登り、数枚撮ってからすぐに降りました。神様に挨拶すらできず誠に申し訳ないことをしました。(何せ手元にあるのは簡単な地図だけで、帰りのコミュニティバスのバス停のある方角は分かるものの、距離と位置が分からなかったもので)
 急いで木々と畑と集落の中を通りバス停まで走ります。バスを一本逃すと次は4時間弱待つので必死です。その甲斐あってか12時を告げるような串本節が集落に鳴り響いた後、5分も経たない間に樫野のバス停に到着できました。もうダメだとばかりに座り込み、そのままバスが来るまで水分補給していました。

 樫野12時17分発のバスは串本駅12時58分着でした。
 帰りの電車は13時30分を逃すと、2時間程特急が来ないので、もうこれで帰ってしまおうと決意して、コインロッカーから荷物を出しました。カツオ茶漬けが食べたかったと悔しがりながら、駅のニチレイフーズの自動販売機で、焼きおにぎりとチキン&ポテトを買い込み。駅のホームでベンチに座って食べていると、予告されていた雨が降り始め、電車に乗っている間止みませんでした。
 

*参照*

『日本民謡大事典』 浅野健二 1983 雄山閣出版

和歌山県神社庁-潮御崎神社 しおのみさきじんじゃ-

和歌山県神社庁-雷公神社 なるかみじんじゃ-


*試聴(広告)*
 唄で最適なのが見当たらないので、伴奏だけですが寄席囃子を選択。30秒弱で演奏できてしまうのだなあと、変に感動してしまいました。