尾鷲節

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写真撮影場所:三重県尾鷲市
写真撮影日 :2016/4/19
唄収録日  :2016/7/8
唄記述日  :2016/7/9
訪問記述日 :2016/7/9


*歌詞*

「(ヤサホラエー ヤサホラエー)
 尾鷲よいとこ 朝日を受けて ヨイソレ
 浦で五丈の網を引く ノンノコサイサイ

 ままになるなら あの八鬼山を 
 鍬でならして 通わせる

(中唄)
 中村山の 御燈明あげ
 国市の 国市さまの 夜ごもり」


*記述*
 三重県の尾鷲港近辺に伝わる踊りの唄です。元は漁民の船唄ではないかとのことですが、それが港町(主に長浜周辺。ここには、かつて遊郭がありました)で「何故(なしょ)まま節」として流行し、終には尾鷲市内にある尾鷲神社の「ヤーヤ祭り」の道中唄へと変貌していきました。
 1917(大正6)年のレコード化の際に初めて「尾鷲節」という名前がつけられます。その後、本唄の後に古い道中唄「コチャエ節」(「お江戸日本橋」の元唄)が取り入れられ、途中で転調するようになりました。

 二番の歌詞は尾鷲から隣村の九鬼へ行くのに、山賊や狼が出る危険で急峻な八鬼山が邪魔であったことが由来です。これについては参照の通り悲恋の伝説があります。
 中唄の歌詞は、尾鷲市内の中村山の祭壇に御燈明を上げ、国市海岸で夜中に斎戒沐浴する風習を指すそうです。しかしその習わしが実際に行なわれていたのか確認できていません。(尾鷲市立図書館で調べましたが資料は見当たりませんでした。訪問記述参照)
 国市海岸は現在中部電力の敷地となっています。昔は松原があったそうですが火力発電所の敷地造成のため伐採されています。

 ヤーヤ祭りで実際に唄われた動画を観ると、民謡歌手等が唄う「尾鷲節」よりずっと速かったため、それに倣ってみることにしました。どこで息継ぎするのかと思っていましたが、このスピードだと一気に唄えて楽です。


*訪問記述*

 10時45分に尾鷲駅到着。天気は晴れと曇りを行ったり来たり。

 ひとまず尾鷲観光物産協会へ向かいます。尾鷲駅のコインロッカーは2014年に完全撤去されているのですが、観光物産協会なら手荷物を無料で預かってくれるからです。
 預けに行かねばねばねば、という思いを強くしていたら、駅の写真を撮るのを忘れるお約束。遠距離からこっそり盗撮したらぶれました。

 

ぶれる、ゆがむ、ぼやける

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 観光物産協会で荷物を預けたい旨告げたら、受付の方から(八鬼山)峠を攻めるのですか、との質問が。否定したら「すみません」と謝られて会話終了でしたが、では何しに来たのかなんて具体的なツッコミ受けたらどうしようと一人でドキドキしていました。

 無事に荷物を預け終わったら、さっそく昼食です。「レストラン ロリエ」でマンボー定食を食べると決めてきたので地図を見て移動し、道を間違えて恵比須神社に到着。折角なので手を合わせます。

 店が見つからなかったら御飯がないと焦りつつ探すと、そこから遠くないところに店を発見。ほっとしたのも束の間、メニュー看板が外になく、窓にはカーテンがかかっており室内の様子が窺えません。「営業中」の札は辛うじてドアにかかっているものの、地元民以外お断りの雰囲気に気圧されました。
 しかし他の店は詳しく調べてこなかったし、ここで食べなければ御飯がないという生きるか死ぬか的二択に迫られ、とにかく勇気を出して入店してみることに。入ると普通に普通のお店で、別に勇気は要りませんでした。
 御飯を待つ間、地元の方が会話しているのを聞いて、私と全然方言が違うけれど唄なんて唄えるのかと冷や冷やしていました。到着してから考えることではありませんが。
 マンボーの唐揚げは、白身の魚のような外見からは想像のつかないイカのような弾力があってとても美味しゅうございました。

 お腹を満たしてから、いざ尾鷲神社へ。神社の中に自由に入ることができて、かつどなたも見張っていないことに度肝を抜かれました。恐れ多くて神域の写真は撮りませんでした。代わりに外の由緒書き等を撮っていたら、光が反射したのか自分の姿が写真へ写り込む事態に……。

 次に八幡神社へ。ここは階段の上の高いところにあるのですが、頭上を飛び交う鳶に恐れおののきました。何か食べ物を持っていたら襲い掛かってくるかもしれない、いや新鮮な魚介類を食べているのだから彼らの舌は私より確実に肥えているのではないか、と心の中で悲観的観測と希望的観測が闘っている間に写真をさくっと撮ってすぐに階段を下りました。(へたれ)

 長浜・天満まで海岸沿いに歩いて行き止まり、同じ道を折り返して戻り県道778号線を南に下ります。途中ハローワークのトイレに寄って、ついでに求人情報を覗いたりしながらも、中部電力の敷地が見える旧国市海岸まで来ました。
 ここで時間があったので、もっと県道を南に進んでみよう、と歩き始めてから一瞬で後悔しました。当時は日向と日陰の温度差が激しかったのですが、歩いている道には影がほとんどなく、時間は13時30分を過ぎて太陽様が本気を出しているところ。景色は単調で、たちまち汗臭く意識朦朧とした生物のできあがりです。信号まで辿りつき写真撮影を完了すると、すぐに反対側の道路に渡り県道を北へ戻りました。
(私は最初から行く時間がないので諦めていましたが、八鬼山の麓には尾鷲節の二番の歌詞碑があるので、興味ある方はどうぞ)

 市民文化会館の角を左に曲がり、直進。途中で庚申塔を横目に眺めつつ、簡易裁判所の角を右に曲がり北上していくと尾鷲市立図書館に到着。
 時間に若干余裕があったので、唄記述に書いた謎を調べるため郷土資料のコーナーへ。地元だから尾鷲節の資料なんて山のようにあるだろう、と高をくくって棚を一通り眺めたのですが見つからず。焦って検索機で調べると、2件しか該当しませんでした。あらら。
 残念ながらその2件の図書を探している間に時間切れとなったのですが、今、その冊子について調べてみると、自分が望んでいた内容とは違う気がします。残念。

 それから、中村山の山頂へ。個性的な屋根の天文台に寄ってみたかったのですが、時間がなかったのでパスしました。

 

遠くからでも見える堂々とした頭

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 中村山を降りて、小学校の横を通って、もう一度観光物産協会へ。荷物を取り、駅に向かい、切符を購入。まだ少し時間に余裕があったので、「Price Cut 尾鷲店」でお惣菜を買い込んでから15時51分発の電車に乗りました。
 電車から見える尾鷲湾の島々が撮りたくてカメラを構えていましたが、同一車両には高校生が二人だけで、どこからどう見ても観光客ですねすみません状態。そして動いている電車からだとやっぱり撮影失敗が多めながらも、次の到着地へ向かうのでした。

  

*参照*

浅野健二  『日本民謡大事典』 1983 雄山閣出版

第25回全国尾鷲節コンクール優勝者によるアトラクション - YouTube

コチヤエー節 明治盤 - YouTube

尾鷲市◆八鬼山の悲恋

三木里海岸の松原【みきさとかいがんのまつばら】 | 尾鷲市役所


*試聴(広告)*
 おそらく地元の方による唄ではないかと思います。