写真撮影場所:滋賀県大津市本堅田、京都府舞鶴市下安久、北田辺、竹屋
写真撮影日 :2014/11/14、2015/9/17
唄収録日 :2015/10/5
唄記述日 :2015/10/7
*歌詞*
「船をひきあげ 漁師は帰る
あとに残るのは 櫓と櫂
波の音 ヨイショコショ 浜の松風
手綱ゆるめて 花の路帰りゃ
鈴に浮かれて 勇む駒
ドヽヽヽヽ花が散る 里の夕暮れ」
*記述*
喜劇役者、志賀廼家淡海氏が作詞作曲した(別の方が作詞したという説もある)お座敷唄です。今は淡海氏の生まれ故郷、滋賀県の民謡になっています。
地方巡業をしていた折、京都の「舞鶴の浜」で早朝漁船が戻ってくるのに氏が着想を得て、作った唄を熊本県の大和座で発表したところ観衆に好評。その勢いでレコード化されて、大正7、8年に大流行しました。
作った当初は曲が三種ありましたが、この唄はその中の一つで「ヨイショコショ」と呼ばれ、その名の通り山口県の「ヨイショコショ節」を意識して作った曲と言われています。また、同じお座敷唄の「名古屋甚句」に曲調の影響を受けたと言われています。
さて、淡海氏が漁船を見た「舞鶴の浜」というのは、実際どこなのでしょうか。調べてみましたが資料はありませんので、推測してみました。
舞鶴には現在東港と西港がありますが、淡海節が流行する前に舞鶴町の地名がついていたのは西港の方でした。また、漁港が昔からあるのも西港の方です。ですので西の舞鶴漁港を撮影してきました。
淡海氏が生まれ故郷の堅田を連想し自然に唄を作ることができた、という光景だったそうなのですが、見ての通りもう浜はありません。場所を間違えて写真撮影しているかもしれないですがご了承ください。
尚、正確な場所をご存知の方がいればご教授頂けると助かります。
参照でリンクを貼っておりますが、動画で淡海氏ご本人のレコード音源が聴けます。唄で大いに参考にさせて頂きました。
それと主流ではないですが、唄中の「ドヽヽヽヽ」から長野県の「小諸馬子唄」の一節が入る「あんこ入り」の唄い方があります。
*参照*
浅野健二 『日本民謡大事典』 1983 雄山閣出版
アイドルを探せ! その7 哀しき喜劇王・志賀廼家淡海 : ゲジデジ通信
http://www.lit.nagoya-u.ac.jp/~human/nenpou/n4/n4_imai.pdf
*試聴(広告)*
淡海氏と同じ松竹に縁のある内海英華氏に一票。英語を取り入れた高座、ジャズとのコラボ等、多彩な活動をされている方のようです。