天満の市(天満の子守唄)/生野区鶴橋

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写真撮影場所:大阪市北区天満橋、浪速区敷津東
写真撮影日 :2014/7/7、10/29
唄収録日  :2015/5/20
唄記述日  :2015/6/19、8/26
訪問記述日 :2015/12/18

 

*歌詞*

 

「ねんねころいち 天満の市で
 大根揃えて 舟に積む

 

 舟に積んだら 何処まで行きゃる
 木津や難波の 橋の下

 

 橋の下には お亀がいよる
 あの亀捕りたや 網欲しや」

 

*記述*

 タイトルが複雑ですが、おそらく一般に知られている(楽譜がある)「天満の子守唄」とは違うはず。


「日本民謡事典」にこの唄は掲載されていましたが、私はこの曲を一度も聞いたことはありませんでした。インターネットの海を潜りましたが、どちらかというと民謡というよりは、ジャズや合唱の曲という印象。


 どなたかが唄っているのが聴きたいなと思い、最終的には「大阪府の民謡 昭和62・63年度府内民謡緊急調査より」のCDを頼りました。このCDには同じ「天満の市」でも複数の地の人に唄ってもらった音源がありますが、この旋律が一番分かりやすく聞きやすいので、採用。

 


 回りくどいことをしましたが、それだけこの曲をご紹介したかったわけで。

 

 大坂の天満の市(天満青物市場)は江戸時代後期、青物で独占的権利を持っていました。木津や難波の農民は自分たちで直接市を開き収益を得たかったのですが、天満の市の妨害で阻まれてしまいます。そこで農民たちは、自分たちの地元が子守の輩出地であった点を踏まえ、反体制的な唄を子守たちを通じて広めたということです(※1)。

 

 元唄は滋賀県で唄われていた「竹馬よいち」。子守の歌唱力と記憶力によるため、唄は音程も歌詞も多様な(ばらばらな)伝わり方をしました。


 この唄では3番の歌詞が「お亀」「あの亀」となっていますが、本来は「鴎」だったとのこと。本当は立地的に木津よりも天満の方に鴎が飛んでいるはずなのに、場所を入れ替え不自然な歌詞にすることで皮肉を込めているとか。

 


 さて、そんな青物市場独占権ですが、天満以外で例外的に認められた地域があります。それが、大坂で最後にできた街、堀江。堀江と言えば堀江盆唄ですね、と無理矢理繋げてみます。

 

(※1)2015/8/26追記

 参照先の『日本民謡大事典』によると、この木津村・難波村から出る守子によって広められたというのは仮説で、実証する文献はないとのことです。


 この仮説は『大阪の民謡』で出てきています。上記の不自然な歌詞、それと元唄である「竹馬よいち」が全国的に広まっていたにもかかわらず、何故か大阪府、奈良県、和歌山県ではほとんど唄われていない謎に対する仮説であったとのこと。

 

 

*参照*

浅野健二  『日本民謡大事典』 1983 雄山閣出版

右田伊佐雄 『大阪の民謡』   1978 柳原書店

 

  

*試聴(広告)*

 

 

 合唱用に編曲されているので本当は違う曲なのですが(タイトルも違いますし)、上記の通り「天満の市」の唄そのものが複数あるから構わないかと。

 試聴用の曲を探していて、NHKの某時代劇でこの曲が使用されたことを初めて知りました。そこで使われていた「のこぎり音」は面白いと思います。

 

*訪問記述*

 7月7日分は淀川三十石船舟歌の撮影と一緒に行ないました。詳細はそちらで書いていますが、正直なところ舟歌に比べてこの唄の扱いははるかに粗末です。
 南天満公園に両唄の石碑があるのですが、舟歌碑にはちゃんと歴史的な由来が書いてあるのに、この唄は歌碑と子守している女性の像だけで一体何が何やら。(天満青物市場跡碑は少し離れた場所にある)分かる人だけ分かればいいという暗号みたいなものですかね。


 10月29日の撮影は、収録に使うヘッドフォンを日本橋へ買いに出たついでに立ち寄りました。天気は晴れ。
 夕方なので人がいないかと思いきや想像したよりもいて、人がいない場所を求めると市場の外側ばかりに写真が偏ってしまいました。

 

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数少ない内部写真

 

 また、荷物(ヘッドフォン)を片腕に掛けながらの撮影は、人がいない隙を狙ってとっさにカメラが構えられないという難点があり、結果的にこの日の撮影は動画に使用する写真が一番少なくなってしまいました。以降、なるべく装備を軽くして撮影に出かけております。
 帰りは大阪市営地下鉄大国町駅から帰宅しました。