堀江盆踊唄

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写真撮影場所:大阪市西区北堀江、南堀江
写真撮影日 :2015/4/30
唄収録日  :2015/6/5
唄記述日  :2015/6/19、8/19、26
訪問記述日 :2016/1/15

 

*歌詞*

「ソレエーソレエーノ ヤートヤ

 (ヨーイ ヨイヨイ)
 かんてき割った すり鉢割ったエノ
 叱られた
 (おかしゅてたまらん)
 竹にサーエ
 ヤッチキドシタイナーオサ
 竹に雀は 姿良く止まる
 (ヨーイ ヨーイ)
 止めてサーエ
 ヤッチキドシタイナーオサ
 止めて止まらぬ こいつぁまた
 色の道
 (ヨーイ ヨーイ)」

 

*記述*

 民謡を習っていてその曲を聴いたことがありませんでした。単純に私が勉強不足だからなのか、1番の尺が長くて発表会のようなところで敬遠されているからなのか。

 

 

 この唄の大ブレークの火付け役であるNHKがインターネットで動画を出しています。昭和6年当時のものかは記述がないので分かりませんが、素晴らしい。

 

  

 唄の発祥を簡単に言えば、遊郭宣伝ソングになるのでしょうか。(お気を悪くされた方がいらしたらすみません)当時、周辺には複数の郭がありましたが、不況の煽りを受けてどこも苦しんでいる中、堀江の方たちは新しく盆踊大会を開くことに。地元の音頭(わらべ唄の影響を受けたもの)を編曲、田中芳哉園氏が新たに作詞した曲は大当たりし、その翌年にNHKによる現場実況の全国放送を経て更に有名になったとのことです。


 成り立ちがそういうことですので、歌詞が下町の様子を色濃く残しているのに、節が洒脱という不思議な唄になっていますね。

 

 

 現在、堀江遊郭は跡地すら残っていません。大阪大空襲で一度焼けてしまったのと、堀江に元々あった川のほとんどが埋められているため、この唄が生まれた頃の風景は想像できません。動画で使う写真も盆踊の舞台となった和光寺及び阿弥陀池だけでは埋まらなかったので、堀江名所旧跡を入れています。

 

 

 その名所旧跡の一つ、土佐稲荷神社は仏水兵といざこざのあった堺事件で、土佐藩士の中の誰が死刑になるかを決めたくじ引きの場所です。(自分の命がくじにかかっているという壮絶さ)堺事件については死刑執行された妙国寺の「妙国寺節」という民謡に唄われていますが、著作権の都合上、タイトル紹介だけです。悪しからず(※1)。

 

(※1)2015/8/19追記

 参考先の『大阪の民謡』によると、「妙国寺節」は当時の流行歌の民謡がちゃんとあり、堺事件のショックも相まって花柳界に伝わっていったとのことです。

 上記に記述した著作権が今でも切れていない曲は、正題を「龍神小唄」といい、元唄(楽譜でしか確認できていませんが)とは全然違います(※2)。

 

(※2)2015/8/26追記

 参考先の『日本民謡大事典』によると、新民謡の「妙国寺節」の作詞・作曲は渡辺松月氏とされています。JASRACのデータ検索では作詞・作曲に「山村初栄」という方の名前が出てきます。この違いが謎です。

 

*参照*

浅野健二  『日本民謡大事典』 1983 雄山閣出版

右田伊佐雄 『大阪の民謡』   1978 柳原書店

堀江盆踊唄 | NHK映像マップみちしる~新日本風土記アーカイブス~

堺事件 - Wikipedia 

 

*訪問記述*

 大阪市営地下鉄西長堀駅から、まずは土佐稲荷神社へ。神社と聞いて何となく想像していたものとは全然違い立派でピカピカしています。三菱財閥の発祥の地だけあって資金バックアップが半端ないと推測します。

 

 人から隠れつつ境内の写真を撮っていると、ふと気になったのが池。写真の通り全面がフェンスで覆われていて、その上空が網で囲い込まれています。人が魚に餌をやるのかそれとも鳥が魚を食べるのか、どちらかの防止と思っていました。調べると水質浄化装置を導入しているようなので、これの盗難防止のためであるのかも。

 

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厳戒態勢

 

 ご飯を食べようと思い事前に店の場所を調べてあったのですが、どこか分からず、結局、最寄りの「喫茶ことり」さんで本日のプレートを頂くことに。その日はササミと梅肉の挟み揚げで、この組み合わせで美味しくならないはずがない、ということでぺろりと平らげました。御馳走様です。

 

 それから道頓堀川に突き当たった後、勧進相撲興行の地の横を通り写真をぱちり。その撮影タイミングで通行している方に不審な目で見られた、ような気がします。
 不意に「D&DEPARTMENT」さんが近くにあったことを思い出すも、閉まっていました。残念。
 それなら、と事前に調べた「cafe Weg」さんを訪ね、ヴェークブレンドとクリームがしっかり詰まったシュークリーム(名前を失念)を注文、美味しく頂きました。我ながら写真撮影に行っているのか食べ歩きをしに行っているのか分かりません。

 

 お腹が膨れましてからぶらぶらと和光寺を駐車場側から訪ねました。こちらも都会のお寺としては大きくて立派。(空襲で焼ける前の敷地及び阿弥陀池は現在より更に広かったそうです)平日の昼間だからか他に参拝の方はいませんでした。
 寺の正門を撮影して、隣の阿弥陀池公園を歩きました。この公園及び隣接する堀江小学校は堀江遊郭があったのではないかと言われている場所ですが、唄の記述で書いたとおり、その面影は全くありません。

 

 動き回るのもくたびれてきたので、大阪市立中央図書館で休憩。それから木村蒹葭堂邸跡を探しましたが見つからず、図書館の外側をぐるっと一周回る羽目になり、再度くたびれまして終了です。